幻想と現実の狭間をフラフラと。

社会に溶け込む自信のないアラフォーです。社会って厳しいし苦しいね。優しい笑顔の裏にはみんな泣きたい心があったりすると思う。

花びらのように散りゆく中で夢みたいに君に出会えた奇跡・・・

『愛し合って 喧嘩して

 二人でいろんな壁 乗り越えて

 

 生まれ変わっても

 貴方に会いたい

 

 はなびらのように散ってゆくこと

 この世界ですべて受け入れていこう

 

 君が僕にくれたもの

 今という現実の宝物

 

 だからぼくは精一杯生きて花になろう・・・』

 

『雨上がり 虹架かり 青あらしにそそぐ光 

 ここに揺るぎない大切な物

 気づいている”愛する”ということ

 まだ歩けるだろう?

 みえてるんだもう

 ”想い”時を越え 永久(とわ)に響け

 君の喜び 君の痛み 君の全てよ さぁ 咲き誇れ

 もっと もっと もっと‥‥』

 

 

急に、頭の中に、響いてきたこの歌詞。

 

2004年にリリースされた アーティストグループORANGE RANGEの名曲です。

 

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本当にこの曲、神ってます!!

 

あれ、どんな歌詞だったかな・・・と歌詞を調べて読んでいったら・・・

 

涙がだばーーーーーーーっ!!と出て、大号泣しました。

 

これでもいろんなしがらみ乗り越えて生きてきた私にとっては、とても心打たれて涙流さずにはいられなくなりました。

 

確か、竹内結子さん、中村獅童さん主演映画『今、会いにゆきます』の主題歌でした。

この映画も泣けて号泣物でした。この共演がきっかけでお二人は結婚・・・そしてお互いの事情をもって離婚となってしまいましたが・・・様々な背景があってその選択肢を選ばれたのは、よほどのことだったのではないかとお察し申し上げます。

 

竹内結子さんは、若くして逝ってしまいましたが・・・実力派女優であったのはまぎれもない事実だったと思います。そして、真っ当に仕事に取り組んでいた方なんじゃないかな。

 

おそらくこの映画の季節柄と、ORANGERANGEの名曲であり本映画の主題歌「花」の曲がベストマッチングで、私たちの世代には強く記憶に残っているのだろうと思います。

 

 

魂単位の出会いでは、時を越えて、時空を超えて、出会えても、お互いの事情で再会が難しく現実界までには叶えられないという現状があるように思います。またこの時代の背景色も相まって、恋愛は一部の人のみで、他は淘汰されるように流れている、そう感じます。とくにミドル世代では、もう諦めの背景が色濃ゆい。

 

お互いに自分を知らない者たちが迷いながらマッチングアプリや婚活などを通して、一生懸命活動しても、なかなかぴんと来ない相手ばかりに巡り合ってしまい、疲れてしまい、諦めてしまうパターンが多いように思います。

 

耳が痛い?ごめんね(泣)私も今、泣きながら書いています。無念の気持ちで。(だから痛いってばっ!苦笑)

 

あらごめんなさい、痛い者でww

 

私たち世代は、自分を知らないまま、自分というものから目を背けられていた、といっても過言ではないくらい、宿題や勉強に追われてきたと思う。こんなこと言っては、本当に失礼極まりないものいいかもしれませんが・・・。(注:それを難なくこなしてきた優秀な方達はほっときます。だって、それなりにもういい肩書持ってるでしょう?ほっといてもどんどん先へ進んでいけばいい。もし気が向いたら話し相手にでもなってよ。←無理ww)

乗り越えられた人たちはほんの一握りです。エリート中のエリート。世の中を引っ張っていってます。だからといって、そうでなかった人たちは、もうおざなり。ってことはしないですよね?

 

ごめん、でも、おざなりと思われる、そういう方達こそ、本当は世の中のことを良く見ていて、肩書がない自分を責めて、何もできない、と自ら暗示をかけているんです。そして、引きこもる。大丈夫。私もそうだから、安心してww(←一緒にするなっ!ってツッコまれそう・・・(だから痛いってばww2度目)

 

本当は可能性を持っているのに。だから、何かきっかけを作ってあげなきゃいけないように思う。退化していく一方ってあきらめていては勿体ないんです。退化していっても、根気よく訓練していけば、形は整う。絶対に。

 

大事なのは、

 

「自分だってできるんだっ!」

 

その気概だと思います!!

 

失業保険でなくても、スキルを見つけたい人達が少額負担制(高くても2万~3万円台)で、受講しやすい職業能力訓練だったり。

 

今、日本は本当に、この肝心なミドル世代が、自信なさげな人たちで引きこもりの生活になっている人が多いように思います。その中から抜け出せて成功したのは、まだほんの一握りの人。でも、それは何度も何度も自分に問い直し、自分を切磋琢磨してきた方達です。その切磋琢磨を試練とみて向き合うか、めんどくさいと言って逃げ切るか。そこが極め時です。

 

やっぱりこの二極化(できる人、できない人)は目立っていて、あるSNSでエリート組の一人が言っていた。

「30代―40代で落ち気味の人たちは、本当に諦めてる感が強い

 だから10代―20代で頑張れるときに頑張ったほうがいい」

 

頑張るってどんな姿でしょうか。

 

 

ひたむきに肉体労働や精神をすり減らして頑張ることでしょうか。

 

 

私は、精神を主にずたずたにされる感じで罵倒される、そんな仕事を受けてきました。

思いのほか、それが事務・会計。弱い者だと察すると、コテンパンに罵倒する50代後半のお局。人のいないところで二人の仕事だと、偉そうにズタズタになるぐらい罵倒的な言葉を浴びせてきました。それでも私は我慢して、本当は訴えてもいいぐらい。この人と8年近く付き合ってきた。唯一頑張れたのは、二人にしない様に、上司に相談して配慮してもらったこと。最終的に、その人、辞めたけど。私はその傷がなかなか癒されておらず、今に来ているように思います。

 

今、思えば、職場関係・勤務先には恵まれているようで恵まれていなかったのかもしれない。もしくは、自分の精神が本当に幼くて周りをイラつかせていたのかもしれない。でも、そのお局は、周りにも疎まれていた。

 

なんとか私が踏ん張ってその人との仕事と、周りの環境を調整しながら頑張っていたように思う。

 

その人が辞めると、なんかもうやり切った感があって、そしてその勤務先の変わりゆく姿に「自分はもういらないかも」と思えてきだして、やめたのでした。以来、職場を転々としてきた。いずれも人間不信による人間関係の築けなさが原因によるものだった。

 

・・・・ここだったか・・・・

 

今、その気づきで、少し分かったように思う。もう、私は人間不信に行き着いていたのだった。って思いこもうとするのもダメだけれど。たぶんその8年に及ぶ、そのお局からの罵倒的な態度で、とくに50代-60代に対する印象が、恐怖にさえ感じていたのだ。

 

そして、これは良い悪い、正しい間違っている、の選択に縛られていたのだった。相当自信と誇りを私はそこで、捨ててしまったのだ。

 

情けないことに、私は今、保育士という肩書をも捨てようとしている。

自分というものが見えていなかったため、無理に頑張って取った資格だった。

 

また、今、『待つ』という究極の試練に、ぶち当たっており、待つことの苦しさをも味わっている。結果を早く出す、という世の中の流れが加速する中で『待つ』という状況は苦しい。

 

でも、『待つ』ことはれっきとした生活イベントでもある。結果が早く出てしまうこの暗黙の了解のシステムも、少し見直しが必要なんじゃないかな。

 

 

ってなんか、大きく話が逸れてしまった。

 

大きく遠回りしてしまったが、

私は、今、自分の体調と、自分の能力のやりきれなさと、将来を見出すことができないその色んな背景をごちゃまぜに受け入れて、混沌とした環境の中、迷いもがいている。

 

そんな中、思い出されたこのORANGE RANGEの名曲「花」に導きを求め、今の回想からまた気づきを得られたことが何よりもの成しえる一つだった。

 

歌詞の中に出てくる「君」という言葉。。。

 

たいていは恋愛関係のパートナーだったり、片思いの相手だったりするだろう。だけれど・・・今思うと・・・それを超える自分、もしくは探している存在なのかもしれない・・・とぼんやりと感じている。