幻想と現実の狭間をフラフラと。

社会に溶け込む自信のないアラフォーです。社会って厳しいし苦しいね。優しい笑顔の裏にはみんな泣きたい心があったりすると思う。

久しぶりに記事を更新する。

世の中、厳しい方向に回っているんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ死んでもおかしくない、その覚悟で、私はこれからを生きようと思います。

 

 

 

 

 

だったらやるからには、楽しく生きていこーじゃないの。

 

自分のこと、与えられた環境、与えられているもの、全てに感謝して。

 

わずかな恵みにも気づくことができるように、毎日を小さな恵みの発見で満たしていければ、幸せに思えるような気がします。

 

でも、ある程度は世間を知らなきゃいけないです。ここは人間界。人間には人間の世界があり、仕組みがあり。

 

だったらそれなりに人間として生きていくために汚れていかなきゃいけないんです。傷ついていかなきゃ惹かれないし、磨かれない。

 

真珠は、アコヤ貝の痛みでできてます。

 

いろんな養分が真珠の核を包んでくれて、淡い、けど美しい光を輝かせてます。

 

そんな大層な尊いものを貴方方は、お金を出せば手に入れているんですよ。

 

 

どんだけ、痛いか、わかりますか?

 

 

 

アコヤ貝にとって見れば、

人間の性器に異物を入れられるほどの、あれぐらいのいたさだと思いますよ。

 

 

 

真珠をいただくときは、丁重に、厳かに。うやうやしく、いただいてください。

 

贈り物であるときはなおさらです。

 

それなりの、痛みと苦痛とを味わい、乗り越えて、美しさを、光を放ち豊かさを得るようになった、最高の贈り物だと誇りに思い、受け取ってください。

 

たかが真珠。されど真珠です。

 

海の………自然と人間がコラボして編み出した、

 

極上の宝石です。

 

 

 

どんどん、お金がないと、あらゆるものが、手に入れられないものになっていきますね。

 

 

でも、唯一忘れてしまってる。支配者たる者たちは。

 

資本である人を、資源を大事にしないことだ。

 

人に、資源を、生活手段のお金を与えずに、心からの気持ちで分配せずに、私利私欲で我がものとしてまだ欲しいほしいと、民にせがんでいいることだ。

 

どこにもいない。

 

ニュースを見てみれば、利権絡みの支配欲でうごめいているやつらばっか。

 

 

聖人君子たるものが支配者でいたら、どれだけ国が豊かになっているか!!

 

 

 

真珠の芯(真)の美しさもわからない者たちが

 

真の支配者なれるものか!!

 

 

サンゴの苦しみをわからぬ者たちが支配者たるものを語るな!

 

 

 

なーんて、だれも見ようとしないブログで叫ばせてもらいましたよ。

 

 

 

 

 

はて、私は何を書くんでしたかね(´•ω• ก`)

 

また次回に続きます。多分、この系列は、これで終わりです。これからは、自分の記録として、このブログ、使います。

 

お互いに幸せであることを祈る。

一時期、話題になった、「ツインレイ・ツインソウル」というもの。

 

お互いに出会うと、一緒にいられずにはいられないという衝動にかられ、家庭を崩壊しかねない、そういう働きを持つ存在に出会うことがあると聞いたことがあります。

 

一緒にいられないという、環境にあるのに、そのような状況を無理やり壊してまで、やろうとすることがありますか。それだけ、大変な仕事を引き受けるという覚悟で、貴方方は、それでも挑みますか。

 

お互い意識の中だけで交流できていることに、なぜ満足しない?

 

もうね、家庭を持っている以上は、家族の十分な理解がない限り、壊してはいけないんです。一線を越えてはいけないんです。その家庭を築くと、決意し、結婚したのはまぎれもないあなた自身でしょう。

 

人が関わっている以上、迷惑や憎悪を生み出すような環境を作ってはいけないんです。

 

人と関わること、結婚することって、それだけの覚悟が必要な、イベントなんです。

 

パートナーの一生を背負う、そして、家族と共感し合う。

当たり前のことが、本当は非常に重厚なことなんです。

 

こんなこと言ったら、ますます、結婚する意識が薄れる人、大勢になると思います。

それだけ、結婚に対する価値観が非常に軽くなっているから。

 

「紙切れ一枚、役所に出せば、棲むことだ」

という意識で結婚する人たちが大勢いるだろうから。

 

ますます非婚化するだろうに。

 

それとも、重大なこととして受け止めて、それでもパートナーを選び、結婚することを選んだ人たちは、おそらく、ますます幸せになると私は、思う。それだけの覚悟をもって、「家庭を「築く」」ことを望んだのだから。

 

どうかな。それは、本人達の意思次第だと思うけど。

 

 

私も、出会いました。そういう人に。

 

だけど、お互いの諸事情で、会わないことを選びました。

 

肉体を持つこの三次元の世界では、既に家庭を持っていたり、大切な人の存在がいたりする、そのような状況の中で、衝動にかられ無理やり壊してまで会う価値なんて、そうそう無いからです。

 

たまたま出会ってしまっただけのこと。

 

魂の片割れともいえるような、存在感に出会えたことがもう、それだけで幸せなんです。

 

その人に出会えたおかけで、これからの人間関係が良くなればいいなと、思っています。私は、人間関係を築くのが不器用でした。でも片割れは、私の正反対の性格のようで、人間関係がとても上手に築き上げている人でした。そういう人は、有名になってます。実力もあります。どうやっても惹きつけるものを持っています。そのパワーを少し、私は意識上交流している中で、おこぼれをもらっているような気がしています。

 

本当にありがとう。

 

お互いに幸せであることを祈ります。

 

お互いに大切な人を大切にして、幸せな家を築いていくことを願います。

 

もし、お互い独身になって、再会できた暁には、一緒になりましょう。

 

でもそれは来世になるのかな。

来世がよくなるように、今世を大切にして生きていきたいですね。

 

ツインソウル、ツインレイそういう存在に出会ってしまったなら。

意識上の交流に留めておいて、できるだけ今の家庭を崩壊しないように、気を付けること。その衝動を越えて、見えた暁には、自我を越えた新たな自分に出会えていると思います。

 

もし、お互い独身であった場合には。

自分の難題が片付けられてから、出会うことを望んでください。

 

人の一生を背負うことになるのです。支えることになるのです。

自分の自由は効きません。言い方、悪いですが、拘束されます。縛られます。

それでも、その人を選びたいのであれば、

自分の難題を片付けること。後ろめたいことを完全になくすこと。

 

それを全部、片付けてから、その存在に無事に滞りなく

会うことを望むようにしてください。

相手に迷惑はかけられません。そのつもりでいて覚悟を決めて、

自分の後片付けを修行として、その修行を終え、心して相手に臨んでください。

 

お互いに幸せであることを祈ります。

 

ありがとう………

もうね、思い残すことはなくなった。

 

私は私で生きていく。

 

これまで通り、

 

モクモク、私らしく過ごしていく。

 

いろいろ、福岡行きたいとか、

県外でたいとか、いろいろ、妬んでは羨んで、いたけれど。

 

今のこの着の身 着のまま、でも十分に、わたしは幸せである。

 

来週には、生命保険解約したご褒美がもらえる。

 

そして、わずか1週間だが、下旬には、福岡に行ける。

 

無理をしては行けないのだ。なにもかも。

 

体力を整えて、始めないと。

 

急ぎすぎては、再び、体力を失い、壊しかねない。

 

だから、体力をつけて、また自由に行動して、働き口見つけたいと思う。

恋しさと切なさと。心強さと。

「恋しさと 切なさと 心強さを 

 いつも感じている あなたへと向かって

 過ちは 恐れずに 進むあなたを

 涙は 見せないで 見つめていたいよ・・・」

 (篠原涼子さん 『恋しさと切なさと心強さと』より)

 

おはようございます。寝起きに、夢というか、想念なのかな、なんかいただきました。

ありがたい言葉を。上の歌詞は、少し影響されちゃって、自分を奮い立たせるために何かないかな、と曲を探していたら、ぴったりのものがあったから一部の掲載させていただいております。

 

 

「本当はあなたに会いたい。会いたいんだ。だけど会えない。会えない事情がある。

 愛している。愛しているんだ。」

 

と・・・心から湧き上がってきたんです。誰がそう思ってくれているのかわかりませんが、もし、だれかが本当に誰かを想い、愛しているのであれば、すごく切ない、想いだなと感じました。

 

私もその想いにすごく影響されちゃって。真摯に受け止めて、その気持ちに寄り添い、音楽を聴きながらウォーキングしました。(続けて4000歩~5000歩歩いていて、さすがに少し疲れてきたので、今日は1000歩程度に留めました。)

 

もうね、辛かった。私も同じような気持ちだから。

これまで、本当に自分の納得いく相手に巡り合うために、頑張ってきたんです。自分なりに。精神を強く持って、精神的に、思考的に、意識だけは恥ずかしくない意識でいたいと頑張ってきた。だけれど、その頑張った暁には、理想の人というか本当に出会えたんだろうけれど、色んな事情があって会えないという・・・なんとも残酷な結果が私を招いていました。

 

「遠い空をあの日眺めていた

 やりかけの青春も 経験も そのままで

 永遠を夢見ていたあの日を今

 もう二度とくりかえさずに もどらずに生きること 

 できなくて あこがれて 

 でも少しずつ理解ってきた 戦うこと!

 悲しくて 泣きたくて 叫びたくても

 あなたを 信じている 言葉にできない

 あやまちは おそれずに 進む あなたを

 涙は 見せないで 信じていたいよ」

 

この朝湧き上がってきた、その想いには、ただただ涙が溢れるばかりで。

苦しくて。もう、音楽を聴く以外には逃げ場がないような心境になりました。

 

で、見つけた篠原涼子さんの曲、「愛しさと切なさと心強さと」

 

この部分で、もう一度、自分を奮い立たせました。

 

何度も、何度も繰り返してきた。

片思いしては、諦めて。結婚への道もうまくいきそうになったけれど、邪魔されて。

挙句の果てには、会えない事情でもう出会いは期待できたないということ。

 

もうね、今までの出来上がりのストーリー、きらきらな漫画や物語のストーリー恨んだわよ。そんなの叶えられるはずもないって。ただただ苦しい現実の世界だけが、私たちを襲っているって。

 

もうね、戦うしかないんです。

 

こんな幻想、自分を見つめる貴重な時間の目くらましでしかありません。特に、女性の皆さんは、相手に期待してしまう癖がついてしまうので、あんまり読まないことをお勧めします。

そんな時間があるのであれば、人へのもてなしの仕方とか、料理の腕を上げるとか、感受性を挙げるとか、そういうものに学ぶ重きを置いたほうがいいように思います。

 

要するに、自分の実際の行動力・技術の質を高めていくことです。

 

自らのリアルな生活が充実していたら、あとから人間関係がついてくるので。

そのリアルな生活の充実度で、付き合う人が変わってきます。

 

どうか幸せになってください。

 

本日も良い一日でありますように。

 

 

 

「運命の人」という幻想②

「運命の人」に出会えるのは、

 

自分の理想を叶えることができている人のみだと思う。

 

理想の自分になるために、自分で決めてきたことを、自分に強く律して、自分との約束を守ってきている人。妥協しない人。その人たちが、運命をつかみ、幸運をつかみ、理想郷を創っていっているのだ。

 

私みたいに、人のことばかりに気を取られて、自分のことを蔑ろにしてきた人たちは、残念ながら、ただただ「運命の人」は遠い存在のままで終わってしまうのだ。

 

それ、嫌じゃないですか??

 

叶えられなかったのは、私一人でいいじゃないですか。

 

貴方もそうなりたいですか?なんなら道連れにしてもいいですか??

 

いやならはっきり断ってください。

 

少し、嬉しいのは、今日は地元の夏祭りでした。

 

高校生くらいの男女が3組、それぞれ駅に向かって、浴衣を着て夏祭りの風情を味わうかのように、カップルで楽しんでました。とても羨ましかった。泣けてきた。今でも。

 

高校生と言えば、男女とも、とてもかっこよく、美しく、きらびやかな世界の絶頂といっても過言ではない時期だと思います。それを謳歌できる人たちは、本当に幸せだと思います。

 

浴衣姿で夏祭りに向かう、カップルの姿は、本当にほほえましいものでした。

 

私はその世界を創り上げた、と言いたいぐらいです。自分の理想とする世界が、現実に反映されている、と勝手に思い込んでいます。

 

私にはもう、この年齢だし、希望もあまりありませんが。

 

慎ましく、生きようと思ってます。

 

期待もせず、理想とする姿に、一歩一歩近づけていけたらいいなと思います。

 

父親の遺伝でダメな遺伝子だけ持ち合わせてしまって諦めろと言われても、

どうせ生きるなら、精一杯努力してきれいになれるっていう希望を少しくらい持っていてもいいじゃないですか!!このばかっ!!

 

・・・・失礼しました。もう一人の自分が、↑のようなことを言って、ダメ押ししてくるため、喝をいれました。

 

 

もうね、アラフォーだし、毛穴は開いてしまってる、シミはできてしまってる、爪はぼろぼろの状態・・・精神も不安定。精神障害で休職→再就職が見込めるかわからない、

生理的に受け付けられないような、容姿になってしまってます。もう、自分はこんなはずじゃなかったと、ひしひしと感じてます。動画やSNSを見ると、可愛い&きれいな女性がいっぱい進出してきている。AIの女性も進出してきて、もう表舞台はきれいな人たちで埋め尽くされています。

 

そんな中、中身まで見極められる方達は、どのくらいいるだろうか。

よっぽど、家庭環境がしっかり鍛えられていない限り、それを見極めるのは難しくなってくると思います。

質の良い、人間力が高い人に巡り合うために、自らの研鑽をも努めていきたいものですね。

 

「運命の人」というものは、自分の意思次第であり、気の持ち様であり。努める人に現実のものとしてやってくる。そういうものだと思います。甘えていたら、幻想のままに終わるのだろうと思います。

 

体力、継続力、精神力を鍛えて、運命の人に、近づける人になってください。

 

 

 

 

「運命の人」という幻想①

私には、「運命の人」という言葉は、幻想でしかない、と今では思ってしまっている。

これまで生きてきた中で、何度も何度も、「運命の人!?」と思わされるような出会いがあったが、結ばれるようなことは一度もなかった。だから、このように独身を貫くような形になっているし、いつまでたっても報われない生活のような、絶望感から拭い去ることできないような、毎日を過ごしている。

 

ありもしない幻想。「運命の人」なんて、一体全体だれが作ったの??そんな風に思ってしまっているのだ。申し訳ない。

 

もう、今ではあろうことか、手の届かないような人に恋い焦がれてしまう始末。そして頭から離れない。自分を律しても、叱っても、結局、その人のイメージが離れない。

 

もう自分を責めるのは疲れてきて。もう妄想として捉えてイメージを続けてみていくしかない、と自分で呆れてしまっている。。。気持ち悪い。自分が。本当に申し訳ない。

 

私は、傷つくために生きているんじゃないのに。

幸せになるために生まれてきたはずなのに。

 

なんで、こう、手の届かないような人に縛られて、生きていかなきゃならないの。

すごく、すごく悲しい。誰か助けて。本当にそう叫びたい。

 

忘れればいいじゃない。そういわれるのは簡単だ。だけれど、忘れようがないのだ。次から次にいろんな現象を使って、私に訴えてくる。「その人に会いに行け」と言わんばかりに。頭が痛い。おかしくなったとさえ思っている。お願いだから、少し落ち着いてほしいと、自分に言い聞かせる。

 

挙句の果てには、重ねてしまう始末だ・・・・。

ただ「似てる」ってだけで。その人だって思いこんでしまっている始末・・・。

 

私・・・・もう末期かもしれない。

 

精神状態、危ないのかもしれない・・・・。

 

もう、その人には申し訳ない通り越して、ただただ受け入れてもらっていることに感謝している。いつかどこかのタイミングで偶然に会うことができたとしたら、私は涙を流すだろう。会えた・・・って・・・。

 

もう・・・精神的におかしくなっても過言ではないような心境にまでなっている。

 

本当にごめんって。まじでごめんって。。。。

 

こんなに思いを根詰めてしまうのは、他でもない、貴方だったことに。

私は屈した・・・。

 

 

嫉妬と絶望と

嫉妬は全てを壊す。

 

本当にそう思います。

 

!?

 

ハタと気が付いた。

 

私、知らず知らずのうちに嫉妬心を無意識的に大きくしていたんじゃないだろうか?

 

これだから、無意識無自覚の筆者は、振り回されるのかもしれない。

 

「何事にも中庸な精神で」

 

よく、できる友人達の話から、聞かれるこの言葉だった。

 

平常心、中庸、一定の心地状態で、冷静に、落ち着いてから、考えを咀嚼して・・・

 

ある程度自分を客観視してから、言葉を発することが重要だ、ともアドバイスされた。

 

私は・・・思えば、それができていなかった。

 

何もかも、感情むき出しで、感情のままに動いていた気がする。

 

今では、それがエスカレートしていて、『待てない』心理状況にまでなってきているのだ。

 

ちょっとこれには、まずさを感じている。

 

落ち着いた行動ができていないからである。

 

客観的に自分を見られていない。これは、ちょっとレベルが高い技である。

せめて、自分の気持ちを少し遠目で見てから、話することを心がけようと思う。

 

華やかな世界は、同時に裏方では大変に厳しい環境で努力しているのが認められる。

綺麗に見える女優さんやモデルさんたちも、私たちの想像しえない習慣が、日常の習慣になっており「何もしない」という言葉にすり替えられているように思われるのだ。

 

嫉妬心、絶望の境地。

 

私は今、その葛藤に苦しんでいるが、先ほどの気づきで、少し出口のような光を垣間見れたような気がする。

 

私は、私になりたい。

 

自分を理想とする、私になりたい。

 

苦しい道のりかもしれないけれど、時間与えられている今、そう思うようになったのだった。