幻想と現実の狭間をフラフラと。

社会に溶け込む自信のないアラフォーです。社会って厳しいし苦しいね。優しい笑顔の裏にはみんな泣きたい心があったりすると思う。

何になりたかった・・・?

おはようございます。

今日は天気が雨でした。大雨が降っていました。

そして心も大雨になりました。。。。

 

本日も、心が折れることがありました。

 

私は事務系で働いて10年なります。そして自分に合った職業は何かと、自己分析して、やっぱり教育関係、人を育てる仕事がしたいと思い、あの保育士の資格を取って、2年保育士として働きました。

 

いずれも人間関係に自信がなくなり、追い詰められて退職になった関係でした。

 

もう、頭が痛い。

 

自分が弱いゆえに、自己主張もできず、人とかかわることを極力避けていた末期の結果です。何より、人間関係が大事で、人と関わり合いながら生きていくことがどれだけ必須か、というのを目の当たりにしています。

 

今回の職場も2か月足らずで、体調を壊して、職場を去るか、とどまるかの瀬戸際に来ています。

入職して1か月で他の部署に回された。これもおそらく人間関係での私の職場での振る舞いが良くなかった故だったのかもしれません。そしてその回された職場でも、疎まれているような感覚です。

 

何になりたかった・・・・???

 

「将来何になるの~♪?」「こーむいーん♪」

 

地元の合言葉にならんばかりのブームになった、学校のCMソング。

 

これが全国的に広まった当時の、私が社会人になって3年目くらいの頃です。私自身、この地元を代表するようなCMソングが全国的に知れ渡ったことが、とても誇らしく思いました。地元で働きながら、地元のことが好きでした。

 

今でも、この地元が大好きです。本当に。だけれど、なりたかった職業も、人間関係に追い詰められて辞める形になろうとは、なんて、弱い自分なんだろう・・・って悔やまれて、本当に今、泣きながらブログを書いています。

 

すみません。

 

ただただ愚痴ばかりのブログですみません。。。。

 

でも誰かに知ってほしくて。

 

このどこにも満たしようのない気持ちを。誰かに知ってほしかった。

 

小学生の時、高学年で初めていじめにあいました。無視された。でもよくよく考えたら、私のちょっとした行動が原因だった。日記で先生に訴えて、先生にいじめを仲裁してもらって、なんとか解決したけれど、そのあとも引きずって、なかなか心を開けるようにはなりませんでした。学校に行きたくなかったけれど、なんとか踏ん張って行ってました。今でこそ、休みを取れるような両親がいて、登校拒否にも理解ある環境になっていますが、私たちの頃は、そうじゃなかった。皆勤賞目標の出席率満点が良しとする世の中だった。

 

遡ると、特定の男の子からも幼稚園の時、いじめをうけました。それも先生の仲裁で仲良くなったけれど、それ以降、あまり遊ばなくなったような気がします。

 

中学校の頃も、私のちょっとした一言で、「私「は」優しくないんだ」と、友達と思っていた一人からひねくられたように言われ、翌日以降、無視開始。長い期間、無視をされていました。担任の先生にやっと、話をしても、小学校の担任の先生みたいには、仲裁をしてもらえず。(中学生ではもう、大人に近いからの理由で、小学生のようには扱わない)一応、仲良くなりましたが、心のどこかでは、また同じことされるんじゃないかと怖かったです。小学校の頃のいじめの記憶がフラッシュバックされ、また同じようなことがおこるんじゃないかとびくびくしていました。

 

高校の頃は、気の合う友達を見つけられた。好きな人が一緒だったけれど、お互いを尊重できる親友に出会え、今でもその人とは、付き合いが続いています。

だけれど、クラス単位で言うと、しんどかった。。。。気の強い人もいたから、その人達はその人達で、とグループになっていたけれど、お互いの目の意識が結構強かったように思います。

 

学校では、本当に毎日が戦争で、学校に行くことが、戦地に赴くと言わんばかりの境地で登校していました。一日一日が、精一杯。生きるか、死ぬか(楽しめるか、けなされるか)。

 

いじめられて乗り越えられた人、立ち向かって自分でいじめを解決できた人は、本当に強くて幸せ者だと思います。

 

でもたいがいは、泣き寝入りをしている。

 

自分が悪いって思ってふさぎ込みやすい。

 

その中の一人になってしまった、私は、何を目指せばいいか見いだせると思いますか?

毎日が精いっぱいだった。

進路先も、「お金がない」と両親から言い聞かされてきた私は、下の子達もいたので、進路先を自分のやりたいことを見つけられずに、「普通高校に行って、短大に行け」と親の希望するところへ行くことを、疑いの余儀なく、受け入れていました。

 

でも勉強してもなかなか頭に入らなかったです。

結局、自分の頭が鍛えられずのまま、私立の奨学金可能な近くの大学に入ることとなり、そこで国語の教員を目指す理由に、進学したのでした。

 

授業受けて、試験受けて、実習必要あれば受けて、単位を取れば、免許がもらえるんです。便利なシステムですよね。でも実習が全てを物語る。その個人に合うか合わないか、が。そこで乗り越えられる体力があればいいけれど、実習でぎりぎりいっぱいだったら、もうそこで自分の進路先に疑問符を持った方がいいと思います。

 

 

長々とすみません。ここまでにしておきましょう。

 

結局私は、何になりたかったのか、を立ち返ります。

 

このような過去を抱いて、どのように未来を思い描いたほうがよかったでしょうか。

 

おそらく、私はいじめを受けたころから、他の人への猜疑心が半端なく大きくなったように思います。なかなか人を信じることができない心持を学んでいたような気がします。それでも、嫌われたくなくて、いつも顔色をどこかで伺いながら、友達と接していました。そんなことを言うと、怒られるかもしれませんが。。。

 

心開ける状態では既に、もうなかったのだと、今更ながらに思いました。

なんとか生き残ることに必死で、毎日を過ごしていたように思います。

 

そんなこんなで、人間関係上手くいくかと思うと、そうじゃない。

人間ができている人達は、私のような上っ面だけのものを、瞬時に見抜き、うさん臭く思って、心開きません。表面上では仲良くしていても。

 

それは、社会に出たら、一気にその差が広がります。

 

思い通りに生きてきて、自分の人生に満足できている人達と

いろいろ迷いながらも、必死で生きて、なんとか充実させたいとあぐねている人達と。

 

貴方は、どちらの方にいきたいですか。

 

もちろん前者だと思います。思い通りに生きてきて、自分の人生に満足できるように、生きていきたいと思うでしょう。

 

そのためには何が必要でしょうか。

 

前もって計画を立てて、自分の行動計画を立てる力を鍛えることです。

 

私にはそれがなかなかできないのです。もしかしたら、幼い頃に、小児てんかんを発症したことで、当時ではわからなかったもの、頭に損傷ができて、それが原因を起こしているのかもしれないと、最近思い、病院に通っています。(ただ脳波には異常がなかったとは話された)

 

その状態でこれまで生きてきたのならば、もし本当に障害をもって本当は生まれていたのだとしたら、私はこれまでの人生、生きてこられたことに感謝したい。そして自分自身に敬意を表したい。あまりにも頑張りすぎていたことに。

 

何になりたかったか?と言われたら苦痛である。

 

今は、絶望のどん底に突き落とされた気分で気力体力が、底をついている。

 

保育士は合わないと、親に否定されてしまい、気が滅入っている。

 

 

そしたら、豊かな家を築ける家事、それを仕事にするお嫁さんも無理なのではないか、と絶望を感じてしまった、私なのだった。

 

それは自分でも感じていた。だから、もう一度振り返ろうと思ってブログを書き記したかったのだが、なにか愚痴記事になってしまい申し訳なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はお嫁さんになりたかった。