フラフラ
最近、回復傾向かと思いきや、昨日、ごっそりと疲労困憊で、気力体力を消耗するできごとがあった。
待ち望んでいた検査結果を聞けると思っていたのに、検査項目が追加されたり、もう少し精密検査がいるとのことで、昨日の受診はなしの方向になった。
開放されるはずだった、我が身は、再び不安の渦へと巻き込まれていったのである。
以来、やる気がごっそりとそがれ、全然、気力体力が続くような状態ではなくなってしまった。
なんでこんな目に合うんだと本当にそう思っている。
今日も、診察。かかりつけの病院で、検査が延長になったことの報告と、仕事辞めようかと思っていることをも話そうと思う。
続けたかったけれど、体が動かず。どうも動くことができないし、前に進むこともできないためだ。
なんのためにあの国家資格を取ったか。子育てを仕事にしたかったためだった。
だけど現実は、思うとおりにならないことの連続であり、また、これまでの自分の人生でやりきってきたことがいくつもあって、満足している方々が行けるようなところでもあり。
子どもたちに本当に優しく接することができる方々がふさわしいのである。
一般社会ではまだ、思い通りにならないことの程度は軽いと思う。子育ては、子ども相手になるから、子どもに怪我がないことへの高いリスク意識と、子どものいけないことをしたときに許せる器の大きさがものを言う。現代では叱りつけることでは子どもが萎縮し、極端に恐れられているから。子どものきもちの表れとして受け止めるべきことだとの方針だ。
厳しさは今の現代の世界では、不必要であり、どちらかというと、邪険に見られる様相である。それでは、教えるこちらの身が持たないではないかと、思うこともあったが、もうそれも許されるべきことなのだろう。
立て直しのときには、厳しい視点も大事だ。でも、大事な子育ての時代にはあまり必要ないことのようだ。しかしそれは本当に、そうなのだろうか。叱りつけて、やっとわかることもあるだろうに。芯の通った子どもを育てるには、ときに叱りつけ、軸を形成してあげることも大事なのではないか。きつく当たった分、抵抗を感じられるような軸が、出来上がる。
でも、それでも厳しさが不必要というのであれば、もうそれはそれで、ふにゃふにゃの世の中になるのだから、もうそれでいいのだと思うようにした。子どもたち自身で、軸を築ける力がすでに備わっているようであれば、もうそれでいいように思う。そういう世の中になって、優しい世の中になって欲しいと思う。
その厳しさを体現してしまっているためか、私は人から疎まれるようになってしまっているようだ。今すべてのことに自信がなくなり、やる気も気力もごっそりと減って、毎日を生きるのがやっとである。
幸いなことに、両親が理解があり、家事をしながら、私を家に置いてくれている。
このなんとも言い難い、葛藤の生活の毎日で、自分の精神が病んでいってるのがわかる。もう誰にも頼ることができない、この毎日を私は、真摯に受け止め、自分のできることに尽くしていきたいと思う。。。